広報気になるニュース:インターネットが当たり前になり、受け身になった私たち。パソコン通信に思いを馳せる(2019.8.25)245

2019/08/25

インターネットが当たり前になり、受け身になった私たち。パソコン通信に思いを馳せる

スマフォの普及により、多くの人がインターネットの世界に入り、そこの住民になった。PCを持たなくても、充分に情報を得ることができ、実際のサイトへのアクセスは、スマフォからの方が多いといわれている。そんな時代。そして夏休みの終わりに、パソコン通信の時代に思いを馳せてみようと思う。若い人には、パソコン通信って何? パソ通って何?って言われそうだが、あの時代があっての今なのだろう。思いを馳せると書いたが、私が初めてパソコンを手にしたのは1997年。パソコン通信のリアル住民ではない。ただ、1986年から働いていた会社は、ソフトウェアの会社で、黒いDOS画面に、sendコマンドを打っていた。当時は、すべてが半角英数の時代、2バイトがまだなかった頃だ? 2バイトという言葉もすでに死語なのかもしれないが。今回、このニュースを見て、またパソ通のポストの方の記事を見て、この言葉が印象に残った。これは、SNSに限らず、すべてにおいて、そうなってきている感じている。
===引用===
SNSの世界には「先輩」の文化がなくなってしまった。
パソコン通信ホストは『DASH島』のようなものです。
===引用===
先輩という概念がないSNS。そして、ゼロから作ることのないインターネットの世界。すでに用意されたもので、遊ぶ私たちは、受け身になり多くのものを失っている気がする。これを広報にどうつなげるかというと、実はプレスリリースを書くにあたって、ニュースがないとおっしゃる企業が多い。ニュースなんてないものです。作るんです。と伝えるんですが、そもそも受け身になった私たちには、作る、生み出す、という概念も薄れているのかもしれない。
あぁ、テレホーダイという言葉も死語になったなぁ~

インターネットが当たり前になり、受け身になった私たち。パソコン通信に思いを馳せる

ポイント
黒い画面に蛍光緑の文字。あの頃、人は試行錯誤していた。

ニュースサイト
あのころ、電話線の向こうには“未来”があった―― 「パソコン通信」がくれた出会いと記憶 (1/3)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/19/news121.html

関連サイト
パソコン通信“最後のホスト”「死ぬまで続ける」と語る理由
ネット秘境の住人に話を聞いた!
https://bunshun.jp/articles/-/7483

ニフティサーブとは何? Weblio辞書
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%8B%E3%83%95%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%96

平成生まれには通じない「パソコン通信あるある」
https://enjoy.sso.biglobe.ne.jp/archives/pc_van/

パソコン通信 – 用語集 | KDDI株式会社
https://www.kddi.com/yogo/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9/%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E9%80%9A%E4%BF%A1.html

6.5 パソコン通信とインターネットの違い
https://www.ieice.org/jpn/kagaku/inet/intro/book/sec06-5.html

テレホーダイ
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%80%E3%82%A4

私見
パソコン通信の住民ではなかった私だが、初期の頃は、ニフティサーブでメールのやり取りをしていた。ニフティと契約をして22年なのか、と思うと恐ろしい年月を感じる。初めてうちにやってきたMacintosh。その後、数台のマックと、数えきれないほどのWindowsと仕事をした。作詞家という仕事柄、ワープロとの出会いは早かった。たぶん1980年代。まだ高かったワープロを給料を貯めて買った。そして、歌詞を書いて郵送で送ったり、FAXで送ったり。今では、メールで事足りることだが、そんな時代ではなかった。一つひとつのことに時間が掛かっていたが、それが当たり前だった。最初に入社したソフトウェア会社では、8インチのディスケットも使った。8インチから5インチに変換をして、3ドライブのパソコンを使い、sendコマンドを打つ。プログラミングができる人間ではないので、開発部の人から受け取った取説が命。AドライブのものをBドライブにコピーしてみたいな話だ。ただ今、私がインターネットを使うにあたって、あまり敷居の高さを感じず、トライできるのは、きっとこの時代があったからだろう。そもそも入社時は、システムエンジニアになると思って入社した会社だった。しかし配属が総務部からの人事部ということで、私の夢は儚く消えた。あの時、システムエンジニアになっていたら違う人生があったのだろうか?情報処理試験の試験監督の仕事でなく、受ける側だったら、何か違ったのだろうか? なんて「たられば」を考えてもしょうがないが、おそらく作詞家になることをすでに決めていたので、別の道を通ってもここに来たのだろう。明日から、専門学校の講義が始まる。講師業の再開。夏休みは今日で終わる。そんな夏休みの最後に、32年前、22年前に思いを馳せてみた。

記事執筆:伊藤緑(広報ウーマンネット 代表)