vol.25 人材サービス会社 広報マネージャー 森真紀さん(2018年4月)


広報という職種にこだわり、業種を変えながらも続けていく広報ウーマン


伊藤:本日は、インタビューありがとうございます。お会いしたときは大阪でホテル広報をされていた森さんが、今は東京で人材サービス業界の広報をされている。ぜひ、そのお話をお聞かせください。

森さん:確かにそうですよね。初めてお会いしたときは、大阪のラマダホテルの広報をしていて、イベントなどの情報の配信もお願いしていました。

森真紀

伊藤:そうなんですよ。満月のイベントが大好きでした。一度も行けなかったのが残念です。森さんの広報歴はどのくらいなんですか?

森さん:広報という職種には、大学受験の頃から興味がありまして、どの学部に行けば広報になれるのか考えたりしたんです。ただ、私が行きたかった大学には、当時そのような学部はなく商学部に入ったのですが、就職するときには、広報職で入社できる会社がないかを探しました。92年当時は、広報という職種は今ほどメジャーではなかったし、新卒で広報をできるわけもなかったんです。

伊藤:確かにそうですね。「広報でないと入社したくない」という人がいるという時代もあったようですが、普通に考えてみれば、社会人経験のない人、会社のことを知らない人にできる仕事ではないですからね。特に最近は、広報が担う仕事範囲も増えてきましたし。そんななか、森さんはどうされたんですか?

森さん:自分にとって身近なもの消費材を扱っている企業に、まずは就職をしようと思いまして、ネスレ・ジャパンに入社しました。入社時の職種は営業です。そして、総合職でしたので札幌に配属という。女性の転勤は私の頃からで注目されましたね。

伊藤:札幌で営業、車ですよね。

森さん:雪国で運転免許を取ったばかりで初めて乗るミッション車。苦労しました。札幌で頑張っていたんですが、どうしても広報という仕事に就きたいという思いがあって、第2新卒での転職として、24歳で会社辞めて、再度就活をしました。

伊藤:それで、新たな仕事に就かれるんですね。

森さん:今のようにインターネットが普及していなかったので、新聞の広告で企画という文字を見つけて、LEC東京リーガルマインドが募集をしているを見つけて応募したんです。札幌から関西に戻ってきての就職でした。メディア業界にも挑戦したかったのですが、未経験の私には厳しかったですね。ただ、LEC東京リーガルマインドは、広報というより企画や広告の仕事がメインで。やりたいこととは少し違うかなと思っていました。

伊藤:そこからまた動き始めるんですか?

森さん:ここまで来たら、どうしても広報の仕事がしたいと思っていましたから。そんなときに、大阪ブルーノート(現:ビルボードライブ大阪)が広報職を募集していたんです。で、もともと音楽が大好きでしたし、念願の広報の仕事もできる! ということで応募しました。すでに26歳だったんですが、100名くらいのなかから合格しまして、阪神ブルーノート(現:阪神コンテンツリンク)の広報になりました。

伊藤:ブルーノートでは、どんな広報をされていたんですか?

森さん:ブルーノートは東京にもあるのですが、大阪ブルーノートは、阪神電鉄の子会社でアーティストのブッキングの部分だけが東京と連携していたんですね。毎月30公演あるんですが、そのライブへの集客へ間接的につながるPRが大きな仕事でした。アーティストをメディアに出すことですね。ライブハウスが海外からアーティストをブッキングしたら、アーティストにはノルマはなく、ブルーノートで集客をしなければいけないんです。そこで、リリースを書いて、アーティストが前乗りできるのであれば、テレビやラジオ、新聞社などの取材を仕込んでプロモーション活動を行いました。

森真紀

伊藤:アーティストさんを乗せて?

森さん:北海道で鍛えた運転技術で10人乗りのブルーノートワゴンにアーティストやスタッフを乗せて、FM802やMBSなどを回りましたね(笑)。レコード会社と一緒にプロモーションを行うこともあれば、アーティストのマネージャーと一緒に動くこともありました。

伊藤:企業の広報とはまた違った世界ですね。

森さん:そうですね。ただ、当時の私にとっては、思った通りのPRで、自分でスケジュールを立てて、何時から何時までどこへ行って、接待のお店もタクシーの手配も、車の運転も自らしていました。前パブが打てなければ、イベレポといったあとパブにするとか。

伊藤:とてもアクティブですね。それを続けられなかったのは?

森さん:ブルーノートがビルボートに変わったときですね。もともと阪神電鉄の子会社なので、親会社から出向している人は本体の会社に戻っていくのですが、私はプロパーで入っていたので、行く先がなくて。そんなとき過労とストレスで帯状疱疹になり体調も壊したこともあり、それまで走り続けてきた仕事を少し休みました。

伊藤:楽しいと思える仕事だったからこそ、無理をしてしまったのでは?

森さん:そうかもしれないですね。なので、休んだあとはあえて「派遣」という雇用形態で仕事をしました。広告代理店という業界にも興味があったので、プロパーでは入れないけれど、派遣でならということで、ちょうど兵庫国体の時期に、準備からイベント開催、それが終わったあとの事務処理までを行ったんです。国体の仕事なんて、なかなかできるものじゃないですからね。クライアントは兵庫県庁さんでした。

伊藤:派遣ということは、同じ職場に長くはいられないですよね。

森さん:そうなんです。それもありましたし、正社員で働きたいという思いがあったので、再度仕事を探したんです。そんなときに、外資のホテルが大阪に入ってきて広報職を探しているという話があり、これだ! と思ったんです。

伊藤:それがラマダホテル大阪ですね。

森さん:そうです。

伊藤:その時に、出会ったんですね。本当にいろんな経験をされている。びっくりです。

森さん:確かにそうですね。ただ、ラマダホテル大阪も2013年12月に売却されて今はないので、そこからもまだ続くんですよ。ラマダホテルでは、広報マネージャーとして本当に自由に広報活動をさせてもらえていて、外資は本国チェックが厳しい企業もありますが、そういったことがなくて、満月の日にロゼワインを飲むと恋が叶う「満月ロゼナイト」や、夏の間のバリ風屋上ビアガーデンなど、自分で企画して人を集めて、リリースを配信して、お客様に喜んでもらう、ということをいろいろとチャレンジさせてもらいました。

伊藤:確かに外資のホテルは厳しそうですが、そういう感じがなかったですね。

森さん:ローラ・アシュレイでデコレートしたレディースルームを作ってPRしたり、有名なイタリアンのシェフとコラボをしたり、広報だけでなく、ホテル内あらゆる部門で働くスタッフみんなでイベントを作っていましたね。当時の総支配人は外国人だったのですが、とても自由にやらせてくれて。

伊藤:その分、結果も残したのではないですか?

森さん:ビアガーデンは、必ず毎年テレビ取材が入りましたね。東京のテレビ局もきたりして。そして、地方に出張に行って使いたいホテル1位にもなり、表彰式にも出ました。587室のうち7割はビジネス仕様だったんです。ワンランク上だけど、高級ホテルではなく落ち着けるというポジションでしたね。ロゴは決まっているけれど、Webサイトも自由だったんです。ビアガーデンでは、サンバやサルサのダンサーの方を呼んでイベントもしました。

伊藤:待ちでない、しかける広報ですね。

森さん:そうですね。女性がお金を使ってくれることもわかっていたので、そういったターゲットに向けてのイベントも実施しましたね。ただ、2013年4月に、親会社から同年12月でホテルが閉館するとと言い渡されたんです。その時は、やはり外資だなと思いましたね。

伊藤:ホテル広報なら、次もホテル広報という道もあったのではないですか?

森さん:そうなんですが、ラマダホテルが本当に自由で、関西の他のホテルに行ったら、こんなに自由にできないということがわかっていたんです。横のつながりで転職していくホテルマンはたくさんいましたが、私はその道を選ばなかったんです。

伊藤:そして、今の会社へ?

森さん:ラマダホテルが閉館することは、7月1日にリリースすることになっていたんですが、新聞社にリークされて、6月末に情報が出てしまったんです。そういうときには、いつもは来ない記者が朝イチから取材に来たりして(笑)。プレスリリースを配信して、記者クラブを回ったんです。「ホテル御三家、第2位のラマダ稼働率80%で閉館」という記事がでましたね。そして、建物自体もなくなると。もともとは老舗の東洋ホテルをリニューアルして稼働していたのですが、建物がなくなると。今は高層マンションになっていますよ。

伊藤:閉館が決まったあとのホテルの広報って何をするんですか?

森さん:正直、やることはないんですよ。イベントも組めないですし、ラマダホテルは、フィナーレイベントもやらないと決めていたので、静かに見送ることしか。そんなときに、今の会社の方と出会ったんです。ラマダホテルでの部下の転職が決まり、ビアガーデンも終わる頃ですね。ホテル時代に仕事で知り合った知人が今の会社を紹介してくださり、これまでとはまったく違う業種でしたが、飛び込んでみたんです。43歳のときです。やはり人脈って大事だなと再認識しました。

伊藤:最初は大阪勤務でしたよね。

森さん:そうです。大阪での案件があって、関西で広報をしていたんですが、それが終わって東京に転勤しました。

森真紀

伊藤:東京と大阪の違いってなんですか?

森さん:大阪だと梅田を押さえておけば、ある程度の情報は入ってくる。ただ、東京は新宿や渋谷など、あらゆるエリアにコミュニティがあったり、また記者の人の担当変更や異動も多い。そういうところが大きく違いましたね。

伊藤:東京に来てからはどんな仕事をされていたんですか?

森さん:まずは人脈作りですね。関西では知らない人がいないくらい、すでに人脈が広がっていましたが、東京ではゼロからのスタート。最初の1年は、あらゆるツテをたどって、広報系はもちろん、メディアとの会合、新規事業者の集まりなどありとあらゆる会に顔を出すようにしました。最初は1人でアウェイ感がすごかったのですが(笑)、様々なところに顔を出していくうちに徐々に知り合いも増え、今は取捨選択して自分にとって必要と思った会合に行くようにスタイルを変えました。そして、自社の「人」にクローズアップし、役員などのインタビュー記事を仕込んだり、産官学連携で取り組んでいるネタを新聞やビジネス誌に仕込んだりしていました。東京ではベンチャー企業が多く、若手ベンチャー広報さんと5人くらいでタッグを組んで、記者へネタを各社プレゼンするという新しいPRスタイルに挑戦したりしました。もちろん私が最年長です(笑)。

伊藤:そんななかで、これまでやったことがない仕事はどんなことでしょうか?

森さん:スタートアップやベンチャーのPRでしょうか。これまではすでに広報チームというセクションありきのスタートでしたが、ベンチャーなどで「広報」という人材がいない企業では経験がないですね。今の会社では、2017年8月から副業解禁になったので、17年間の広報経験を活かし、今後は若手広報担当者のメンターや広報コンサル、6社の経験を活かした転職アドバイザーなどもやってみたいです。

伊藤:これからの、森さんの活動が楽しみです。個人的に、広報は会社を立ち上げるときに一番力をいれるものだと、思っています。会社がスタートすることこそ、一番のニュースですから。きっと森さんの力を待っていらっしゃる方がいると思います。また、お話を聞かせてくださいね。


<編集後記>
インタビューのなかでも書かせていただいた通り、森さんとはラマダホテルの広報をされていた頃に、広報ウーマンネットなにわ部でお会いしました。その後、東京にいらっしゃったと聞いて改めてお会いして、大阪と東京の両方の広報を知っていることって武器になるだろうな、と思いました。そして、インタビューをお願いしてお話を聞いたら、なんと4社もの広報に関わっていたということに驚きました。PR会社勤務や業務委託で異業種の広報を経験する方は多いと思いますが、インハウスで、そしてどの会社でも本気で取り組んでいらっしゃる。まさに広報という職種に就くために生まれてきたという方だと感じました。広報という職種は、17年前とは大きく変わってきています。広報黎明期から関わっている方のお話は、本当に密度が濃いです!

5年ぶりに「広報ウーマンインタビュー」を復活しました。インタビューから1年かかっての掲載になってしまったこの原稿ですが、待っていてくださって森さんには感謝しかありません。そして、このコーナーを不定期でも続けていきたいと思わせてくださった方です。ありがとうございました。